2020年2月29日

 

日付が変わってしまいましたが、

吐き出さないと無理なので、この記事を残します。

 

2019年6月1日。

その日私がこの目で見た、ユースケくんの姿。

大好きだったユースケくんのパフォーマンスを最後に見た日。

 

2019年6月10日。

この日からずっと超特急の活動に目を背けてました。

5人での楽曲作品、ライブ出演、メディアへの露出がこの世に存在する事が辛くて。

正直7人だったものが6人になった時より、6人だったものが5人になった時の方が

見ていられない気持ちになってしまいました。

超特急への不満でも心配でもなく、私の心情のせい。

 

ユースケくんの中の戦いがそこまで辛く厳しいものになっているなんて思いもせず、

私は呑気に年末年始ツアーには復帰するんだと思っていました。

信じて疑わなかった。

だから友達に一緒に乗車しようと誘ってくれた時に行く事を決めたのです。

2020年1月3日、1月4日。

楽しかった。でも超特急のライブに行く理由の1つが失われて、

凄く遠く離れた所から5人を見ている気持ちになりました。

休養してからの曲を全く聴いていないまま臨んだっていうのもあるんだけど。

 

次に私が超特急の現場に行くのは、ユースケくんが戻ってきてから。

ユースケくんに「おかえり」を言う時だ。

そう決意した私は、今年の春から行われるツアーは見送った。

 

結局私が最後に行った現場が6月1日になるとは。

 

 

FCの自動更新を解除した。

スパッと辞める気にはなれなかったので、来年の1月にフェードアウト出来るように。

パン紀行のトークイベントは幻となってしまった。

スケジュール帳にも大事に書いて、当選する気満々でいた。

Twitterでフォローしていた超特急関連の公式アカウントは全てフォロー解除した。

もう5人での最新情報を見る事が辛すぎたから。

リョウガくんは、私の推しです。

でももうしんどいです。5人の姿を見るのは。

黄色のペンライトを振る事が出来なくなるのが。

紫のペンラだけを振る事は出来ないと思ってしまいました。

 

 

 

 

ユースケくんはいつから戦っていたの?

原因は何?

私にはその兆候が全く見えなかった。

多分、みんなそう。メンバーも、ユースケくん自身も。

何がユースケくんに負担になってしまったから分からないから、

もう何を言っても攻撃する事になるかもしれない。

それでも言うけど、

私はユースケくんのダンスが大好きだ。

6推しになる事を決めたのはダンス、体の使い方が好みだったから。

誰よりも輝いて、美しく見えた。

しなやかで、繊細で、丁寧で、柔らかくて、クセがない。

そして踊る時の表情。

曲の主人公が乗り移ったかのような表情の変化の仕方が、

目が離せなくて惹きつけられた。

大好きだったんだ、ステージ上のユースケくんが。

素晴らしいパフォーマーであるユースケくんが。

 

 

今まで好きになった芸能人は何人もいるけど、

推し相手に、幸せになって欲しいという感情が芽生えたのは、

ユースケくんが初めてだった。

芸能人は芸能人。私たち一般人とは違う存在で違う人種とまで思ってた。

超特急に出会って、同年代って言うのもあるけど、

その人間味の強さに、「ああ、芸能人も、私達と同じくただ芸能人という職業を全うしている、1人の人間なんだな」と思わされた。

コーイチくんが辞めた時のユースケくんのブログを読んで、

私は初めて「この人には幸せになってもらいたい」と強く思いました。

自分勝手なオタクでしかないから、ユースケくんに願う幸せは、

「超特急として幸せな活動を続けて欲しい」というものでしかなかったと、

今回自覚しました。

福田佑亮くんのこれからの人生に超特急としての時間が上書きされない事が辛い。

超特急でいて欲しかった。時間がかかっても戻ってきて欲しかった。

我が儘なオタクでごめんなさい。

私としては2年半という短い間でしたが、

楽しくて幸せな思い出をありがとう。

好きにならせてくれてありがとう。

素敵なパフォーマンスをありがとう。

 

最後に。

ユースケくん、ありがとう。大好き。

福田佑亮くん、幸せに生きてください。